憲法新3条をめぐってアントニオ・カソ より新しい論争が起こった。前年末から翌年3月まで議論が続いていた。当初はマルクス主義に関し経済学者であるフランシスコ・サモラ (Francisco Zamora) と、後にはヴィセンテ・ロンバルド・トレダノ (Vicente Lombardo Toledano) とも新たに論議を展開した。この論争に関し首都圏のマスコミは4月まで報道を続けた。
この論争の根底は、社会主義的教育が大学も含め、全ての教育を代表するものでなければならないと の主張に対し、カソ (Caso) は学問の自由を主張した。また、付属高校の教育システムの見直しとして、3年の中等教育が確立する前の5年制度の高校教育に戻そうとした。
後に、3年の高等教育期間制度を廃止し教育期間を延長することが承認された。大学評議会は各研究機関の経済的危機のため、大学の活動を一時停止することを決定した。これを 法学部の学生たちは、国による教育の放棄と解釈した。
カルデナス (Cárdenas) 大統領は、大学は憲法に 則って調整されなければならないとし、大学組織法の改定を要請した。 教育の自由剥奪への脅威を前に大学教授たちは次々に辞任していった。
9月16日、オカランサ (Ocaranza) 総長が辞任し、代わりにバルビノ・ダヴァロス (Balbino Dávalos) が総長に任命されたが、一度もその役職につくことはなく、9月24日法学部長だったルイス・チコ・ゴエルネ (Luis Chico Goerne) が新たに総長に任命された。また、法学部、哲学・文学部、医学部、商学部、経営部、高等教育機関などいくつかの学部がその名前を「国立学校」と改称した。
美術学校は国立建築学校と国立造形学校に分かれた。後に美学研究所となる芸術研究所や大学内医療施設などが設立され、経済学校は独自の道を歩んでいった。
第3付属高校が設立された。各大学機関の学長が次々と替わった。学長顧問委員会で大学都市建設のための土地の売却が承認され、また大学に貢献した教授に対する給与未払い分返却に必要な予算も承認された。 |