1月6日、官報に大学組織法の全文が掲載された。そこには15名の有力者、後援会理事からなる役員会議を設けること、また、総長と大学評議会に絶対権力を与えること、それから学校、学部、研究機関の学長の権限について明記されていた。この大学組織法から、新大学一般法の要約がなされた。
最初の役員会議は次のメンバーだった:アントニオ・カソ (Antonio Caso)、マヌエル・ゴメス・モリン (Manuel Gómez Morín)、フェルナンド・オカランサ (Fernando Ocaranza)、そして元総長のマヌエル・サンドヴァル・ヴァジャルタ (Manuel Sandoval Vallarta)、イグナシオ・チャヴェス (Ignacio Chávez)、マリアノ・エルナンデス (Mariano Hernández)、ヘスス・シルヴァ・ヘルソグ (Jesús Silva Herzog)、マヌエル・マルティネス・バエス (Manuel Martínez Báez)、アブラム・アヤラ・ゴンサレス (Abraham Ayala González)、フェデリコ・マリスカル (Federico Mariscal)、アルフォンソ・レジェス (Alfonso Reyes)、リカルド・カトゥレグリ (Ricardo Caturegli)、ホセ・トレス・トリハ (José Torres Torija)、ガビノ・フラガ(Gabino Fraga)、アレハンドロ・キハノ (Alejandro Quijano)だった。
アントニオ・カソ (Antonio Caso) は校長指名を辞退しため、代わりにマリオ・デ・ラ・クエヴァ (Mario de la Cueva) が引き受けた。3月には論議が終結し、新しい法規が承認された。歴史研究所が設立された。また、国立看護学校は医学学校から切り離された。
同月24日に国際派で小説家でもあったヘナロ・フェルナンデス・マクグレゴル (Genaro Fernández MacGrégor) が総長に選ばれた。現場の声を参考に各機関の所長などに参加を呼びかけ、人文学部と科学学部との調整機関を設けた。この頃の国際情勢としては、ドイツの敗北から第二次世界大戦も終焉に近づきつつあった。
8月、日本に2つの原子爆弾が投下された。アメリカとソ連という2つの対極的軍事力が生まれ、新しい国際関係が始まった。
国連が発足し、メキシコは設立時からメンバーとなっている。PRMから内務相だったミゲル・アレマン・ヴァルデス (Miguel Alemán Valdés) が大統領候補に指名され、外務大臣であったエセキエル・パディジャ (Ezequiel Padilla)がそれに対抗して独自に出馬した。
投票日が近づくにつれ選挙戦は激しくなった。大学では学科教授のための規則やその他の 新法規に関連し教授が受けなければならないコンクールなどに関し議論された。
この年の 大晦日、大学都市の創設と建設法プロジェクトが承認された。国立科学・芸術賞が設けられたことが官報に掲載された。 |