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06/04/2013
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1990年

大学会議に先立っての地域フォーラム開催のための召集が行われ、またテーマに沿ったさまざまな講演会が開かれた。1月30日正式に会議の招集が発表された。地域フォーラムでは色々なテーマについての研究発表がおこなわれた。

3月16日に会議に出席する代表者が決定され、5月14日から6月5日までの予定で準備が開始された。このすべての行程はUNAMラジオで放送された。

全体でのセッション、特別なテーマに関してはグループごとのセッションなどがあり、グループディスカッションの後、総会で承認を得なければならなかった。議題にのぼったテーマすべてに関しての決定はできなかったが、10月18日開催の大学評議会で承認された 。

教職員の仕事の効率性・生産性活性化プログラム(PEPRAC)がすすめられた。また、名誉教授認定・支援プログラムも設けられた。空間開発研究大学プログラムがつくられた。

大学評議会は学部取得後学習コース一般規約と図書システムに関する規則の変更を承認した。また、各機関に顧問評議会を設けた。

理学・芸術大学美術館の30周年記念として、過去を想わせる回顧的な展示会がひらかれた。この年の在学学生総数は27万1千358人だった。また、教職員は2万8千389人で、職員は2万5千664人だった。

1991年

事務局長にサルヴァドル・マロ・アルヴァレス (Salvador Malo Álvarez) が選ばれた。教務課事務局と大学組織支援団体がつくられた。

5月大学評議会の一員として活躍した大学研究員役員が選ばれた。理学・人文学総合大学高等教育課程技術評議会がつくられた。

遺伝・バイオテクノロジー工学研究センターはバイオテクノロジー研究所となった。7月11日、メキシコ全国同緯度であればどこからでも肉眼で確認できる皆既日食がおこった。この日食は多くの大学関係者の研究意欲をかき立てた。

10月、当時教育学界において最新といわれていたスーパーコンピュータCRAY Y-MP-432が設置された。教育研究統合プログラムや高度要求教育プログラムがつくられた。

11月15日自然環境大学プログラムが機能しはじめた。プーマス (Pumas) はわずかのゴール差でアメリカ (América) に勝利し、3回目のリーグ優勝を果たした。

1992年

大学評議会は各分野の教職評議会と高等教育教職評議会の設置を認めた。分野研究大学プログラムができた。

コンピューター顧問評議会が再構成された。UNAMスーパーマーケットシステム運営評議会がつくられた。大学を支援するために民間協会であるUNAM基金設立された。

12月、CONACYT内部に科学博物館「エル・ウニヴェルスム (El Universum)」が開館した。旧サン・アグスティン(San Agustín)教会の中から見つかった国立図書館保管蔵書と国立図書館所有蔵書すべてを収めるために、国立図書館の拡張工事がはじまった。

1993年

ホセ・サルカン (José Sarukhán) が2度目の総長に選ばれた。事務総長にはフランシスコ・バルネス・デ・カストロ (Francisco Barnés de Castro) が選ばれた。分野別教職評議会がつくられ、分野別代表者選考の際にそれぞれのコーディネーターも指名された。

評議会は数物理学、生物・衛生化学、社会経済学、人文・芸術学分野の中に設置された。さらに、国立高等学校と理学・人文学学校により構成される高等教育教職委員会が設立された。

計画・評価・学術プロジェクト総局は大学統計・情報システム総局と名称を変えた。サラゴサ (Zaragoza) 専門研究国立学校はサラゴサ (Zaragoza) 高等研究学部となり、アメリカ合衆国研究センターは北アメリカ研究センターと名称を変更し、その研究範囲も広げた。

教職員の仕事の効率性・生産性活性化プログラム(PEPRAC)の割当教授・研究員の数を増やした。教授・研究員のための教育課程強化プログラムと教員安定振興プログラムがすすめられた。大学キャンパスエコロジーコントロール委員会がつくられた。

国立図書館保管蔵書が10月8日に公開された。何年もの交渉の結果、大学はインフラ設備の拡大・改善・設備かのため米州開発銀行(IDB) からかなりの額の融資を受けることができるようになった。

大統領候補として、PRIからは社会発展相だったルイス・ドナルド・コロシオ・ムリエタ(Luís Donaldo Colosio Murrieta)が、PANからは、PANの下院議長だったディエゴ・フェルナンデス・デ・セヴァジョス(Diego Fernández de Cevallos)が、PRDからは、クアウテモック・カルデナス・ソロルサノ (Cuauhtémoc Cárdenas Solórzano) が立候補した。その他の少数派の政党から立候補した6人の候補者も交え、3候補者は選挙運動を転換した。

1994年

この年、規範運営システム調整委員会が制定された。UNAMの年代記作成の役割が設定され、クレメンティナ・ディアス・イ・デ・オヴァンド (Clementina Díaz y de Ovando) が任命された。文化普及評議会が設置された。

都市研究に関する大学プログラムが設置された。長い年月の後、この学期より学校年間予定が国家教育システムと同一化された。

1月1日、チアパス (Chiapas) 州でサパティスタ (Zapatista) 民族解放軍(EZLN)による武装蜂起が発生した。内務大臣パトロシニオ・ゴンサレス・ガリド(Patrocinio González Garrido) 、その他多くの政府職員が辞任した。

連邦政府はマヌエル・カマチョ・ソリス(Manuel Camacho Solís) を武装蜂起者たちとの平和に関するコミッショナーに任命した。EZLNは副司令官マルコス(Marcos) がスポークスマンとしての役割を担っていた。サン・クリストバル (San Cristóbal) 教区のサムエル・ルイス(Samuel Ruiz) 司教が仲介者としての役割をした。チアパス (Chiapas) でのゲリラ状況は住民の間における食糧、衣類などの欠乏を もたらした。

大学の構成員は救援物資寄贈や募金を組織し、必要としている地域に向けて集めた物資を届けにいく為のデモ行進を行った。大統領選球活動は大学構内まで拡大してきた。PRIの大統領候補ルイス・ドナルド・コロシオ (Luis Donaldo Colosio) がバハ・カルフォルニア (Baja California) 州のティファナ (Tijuana) で暗殺された。

PRIは後継の大統領候補に予算企画大臣、公教育大臣を歴任したエルネスト・セディジョ・ポンセ・デ・レオン (Ernesto Zedillo Ponce de León) を指名した。PTのセシリア・ソト (Cecilia Soto) 、PDM-UNOのパブロ・エミリオ・マデロ (Pablo Emilio Madero)、エルネスト・セディジョ (Ernesto Zedillo)、クワウテモック・カルディナス (Cuauhtémoc Cárdenas)、ディエゴ・フェルナンデス・デ・セヴァジョス (Diego Fernández de Cevallos) など多くの候補者が大学を訪れ、大学構内で選挙活動を行った。

大学の構成員の何人かは連邦選挙局(IFE)により、公正な選挙が行われるかどうか監視する為任命された。8月21日、大統領、国会議員などの選挙が行われた。

選挙結果は、エルネスト・セディジョ・ポンセ・デ・レオン (Ernesto Zedillo Ponce de León) が大統領に当選し、PRIが国会の多数派を占めた。

1995年

2月、UNAM文学部の招聘教授、ノーベル文学賞受賞のアフロアメリカン作家トニ・モリソン (Toni Morrison) が文学部の学生、メキシコの作家たちとの多くの会合に参加した。

3月28日の早朝、ロシアのプレセツク (Plesetzk) ロケット発射場からスタートロケットに搭載されて、UNAM-SATI 1衛星が宇宙空間に打ち上げられた。この計画はロシアのロケットの欠陥により失敗したが、数日後、兄弟衛星UNAM-SAT BがAT&Tのものと一緒に打ち上げられた。

6月、フアン・カルロス(Juan Carlos)、ソフィア (Sofía) スペイン国王夫妻の第三子フェリッペ・デ・ボルボン (Felipe de Borbón)スペイン皇太子がスペイン亡命知識人の活動の場である大学都市を訪問し、ホセ・サルカン・ケルメス (José Sarukhán Kermez) 総長と会見した。

皇太子は法学研究所(IIJ)にルイス・レカセンス・シチェス(Luis Recasens Siches) 蔵書を寄贈した。同じセレモニーで、サルカン (Sarukhán) 総長は皇太子に、UNAMが編纂したスペイン亡命50周年記念の書籍を贈呈した。

旧カサ・デ・マスカロネス (Casa de Mascarones) 校舎を改修し、DGSCAの外部コンピューター教育センターと文学部(FFyL)の継続教育部門を収容した。科学・人文学高等学校(CCH)が、創立25周年になり、元UNAM総長であり、高等学校システムの創造者であるパブロ・ゴンサレス・カサノヴァ (Pablo González Casanova) を迎えて記念式典が行われた。

人文学・芸術部門学術評議会の主催した大学芸術フェアが前例にない評判を受け、 芸術フェアを文化的伝統として行うことにした。

UNAMの高等学校・学士レベルの入学試験結果発表の後で不合格者との間で紛争が生じた。大学で合格者の入学手続きが開始されたとき、大学学生評議会(CEU)のグループが大学構内で即興の集会を始めた。集会で「教育の差別的システム、UNAMの入学枠増枠を要求すること、内規に則り入学試験の再点検を要求すること」などを若者に訴えた。

それに応えて大学は11万人の不合格者に試験結果を送付した。8月10日に文学部のチェ・ゲヴァラ (Che Guevara) 講堂で「高等・教育からの排除者運動」(MEEMS)との集会を持った。このグループの第一の要求は18万人の不合格者の入学であった。

その他の要求は、国立高等学校での昼間部と夜間部に加えて更にその間に第三の時間を設定すること、科学・人文学高等学校の校舎を更に5つ増やすこと、UNAMが入学者を4.5万人増加するために入学枠を最大限に拡げること、であった。学生と不合格者の家族15人が大学本部入り口でハンガー・ストライキと絶食を始めた。

MEEMSのグループのメンバーは入学試験の課程で、いくつかの学校で入学試験が販売されていたと反論した。数百人の入学試験不合格者が大学広場で青空教室を開始し、ほかの不合格者たちは大学のいろいろな学校の聴講生としてクラスに参加した。

9月22日金曜日、MEEMSの運動を支援する学生によって大学本部が占拠された。また、 科学・人文学高等学校総局の建物並びに同校南部地区校舎が占拠された。これらの行為に対して、ホセ・サルカン (José Sarukhán) 総長は、非妥協的な、繰り返し行われる暴力的・不法な行動に対し、大学は「注意深く、具体的で法的根拠に則り提案することで回答してきた」と述べ、UNAMを守るために団結するように訴えた。

9月26日、MEEMSの行動に抗議して学生、職員、役員が法学部より大学広場まで大学本部の占拠を解除するように「沈黙の行進」を行った。これに抗して、学生運動側は大学本部の回りに「平和の帯」を形成した。9日後、MEEMS自身によって大学本部の占拠は解除され、少し後で科学・人文学高等学校総局の占拠も同様に解除された。

大学当局とMEEMS側は交渉のテーブルにつくことを了解した。 主な交渉のテーマは:入学試験に合格しているにもかかわらず、入学手続きに来なかった生徒の分を、入学試験不合格者に使用させるよう要請することであった。

10月、1996年から施行される予定の科学-人文学高等学校の5校舎の教育改革プランの変更案により大学学生評議会(CEU)メンバーがCCHの建物の無期限封鎖を開始した。

学校封鎖の8日後から、学生と教員は学期を無効にしない為のために学外授業を始めた。大学当局、学生側との交渉の結果として、1996年1月に技術評議会の特別委員会を構成するCCHの学生選抜の募集することを承認した。その目的は、大学内の教育プランの改良に関して最新のインフォメーションの提供とその確認プロセスを推進することであった。

10月11日、スウェーデン王立科学アカデミーは、フランク・シャーウッド (Frank Sherwood)、ポール・クルツエン(Paul Crutzen) と共にホセ・マリオ・モリナ・パスケル(José Mario Molina Pasquel)にノーベル化学賞を授与した。1995年5月、DGSCAより、遠隔地教育、オンライン・サービスのUNAM-EUプログラム、放送による初めてのビデオ討論会が開始された。メキシコにおける経済危機の選択肢と展望のテーマで国立高等学校第6校舎アントニオ・カソ (Antonio Caso)の学生とテキサス (Texas) 州サン・アントニオ(San Antonio) のUNAM校の学生が討論を行った。

1996年

1月、文化普及のための新しい施設、光の博物館が歴史的景観地区の中心に建設されることが発表された。このプロジェクトの目的は芸術、建築学、エコロジー、地球の中の光を 人間の視覚が感知する生理学を展示することにある。

サン・ペドロ (San Pedro)、サン・パブロ (San Pablo) 旧教会はウニヴェルスム(Univeresum) の拡大施設としてインターアクティブ空間に生まれ変わる。2月、医学部(FM)は世界保健機関(WHO)の人材養成協力センターとして承認された。これは特筆すべき技術水準と科学的特質を支えていた大学コミュニティーの努力の結果である。世界で20の機関のみがこの承認を受けている。

3月、メキシコの現状の教育レベルをシステム的に診断し、メキシコの高等教育機関を機能的に形成するために、教員の質を測る総合試験の適用に関し発表があった。また、同月にUNAMが他の10の教育機関と共に国立高等教育評価センター(CENEVAL)が首都圏の高等学校入学の唯一試験を制定する提案に関し、唯一試験プロジェクトはUNAMの入学試験規程の変更、又は大学の最高意志決定機関、大学評議会の承認を意味するものでないことを明確にしていた。

9月5日、UNAMは独自の衛星UNAM-SAT Bの打ち上げに成功した世界で第3の研究機関となった。衛星はメキシコの最高学府の科学者たちによって設計され、製造されたものであった。UNAM-SAT Bはロシアの衛星打ち上げ基地プレセツクより航空宇宙軍によって打ち上げられた。

UNAM-SAT Bは隕石が大気圏に突入する速度を計り、太陽系内のものかそうでないかを確定するよう設計されたものであった 。 UNAM-SAT Bの打ち上げによって メキシコは世界的な宇宙研究国家グループの有力な一員となった。

9月7日、スペイン大統領ホセ・マリア・アスナル (José María Aznar) がUNAMを訪問し、諸大学の学長セミナーに参加した。その席上で大統領は、二国間協力は量ではなく質の高い選び抜かれたプログラムを見出すことが重要であると述べた。

また、メキシコ・スペイン間の協力、科学文化・教育分野に関する進行中のプログラムと目的を保つ決意を言及した。

UNAMの連邦化・アカデミー化推進を支援するために、大学運営総局(DGAE)はコンピュータープロジェクトの一環として、学業・卒業・学位取得手続きの適格なコントロール、時間の簡素化を推進する手続きプログラムを10月に開始した。

10月、コリマ(Colima) 大学はホセ・サルカン (José Sarukhán) 総長に科学分野における学問経歴、メキシコの高等教育への貢献、特にコリマ (Colima) 大学に対する支援の功績を称える目的で、名誉博士号を授与した。

11月、すぐ後にエコロジーセンター局が設置されることになっているミチョアカン (Michoacán) 州モレリア (Morelia) キャンパスの第一段階が機能し始めた。この第一段階ではエコロジーセンター局、天文学・数学研究所を設置するものである。

12月、パリのUNAM研究所の開所式訪問で、UNAMと フランスの最も重要な文化研究機関との関係拡大、協力協定拡張がはかられた。

同月、フランシスコ・バルネス・デ・カストロ (Francisco Barnés de Castro) がUNAM議会で満場一致で、1997―2001年任期の新総長に選出された。

1997年

1月6日、大学評議会の特別会議で、フランシスコ・バルネス・デ・カストロ (Francisco Barnés de Castro) は任期1997―2001年の新総長に就任した。

1月、光学部の開設式に伴い、科学博物館ウニヴェルスム (Universum) 開設4周年を祝った。1996年11月27日に署名された協定に基づいて、オラクル (Oracle)・メキシコ社は、UNAMの文化普及総局に、旧サン・イルデフォンソ (San Ildefonso) や科学博物館ウニヴェルスム (Universum) や大学を構成する様々な機関を繋ぐ為に 大学が開発した情報システムを持続するためのデータベースを寄贈した。

2月、フランシスコ・バルネス・デ・カストロ (Francisco Barnés de Castro) 総長との合意によりUNAM運営組織、事務局、運営局の改編、UNAM企画局が創設されることになった。また、UNAM学生総局の改編も 承認された。以上の承認事項は、1997年2月6日より 施行される。

3月、スペインに関する資料文書化研究センターは傑出した哲学者ホセ・ガオス (José Gaos) (1900―1969)が死後寄贈した資料のマイクロフィルム化を終了し、 コピーを一部哲学研究所(IIF)に 提出した。

マイクロフィルム化は手稿、翻訳、仕事のメモ、講演原稿、講義録より構成されている。それは1994年中頃、スペインの大学の一般理事会で承認された「スペイン市民戦争当時の多くの思想家、知識人に関するスペイン側の記録の失われたものを償うために」という亡命哲学者の資料回復総合プロジェクトの一環をなしている。

3月4日、駐メキシコスペイン大使フアン・ロペス・デ・チチェリ (Juan López de Chicheri) がUNAMを訪問し、 フランシスコ・バルネス・デ・カストロ (Francisco Barnés de Castro) 総長が案内した。4月8日、学術コンピューターサービス総局機械室に、ラテンアメリカ最大規模で、世界でも最先端の一つとされるスーパーコンピューター、オリジン2000シリコン―グラフィックス (Origin 2000 Silicon – Graphics)をスタートさせた。

4月、駐メキシコオーストラリア大使リチャード・ブロイノスキー (Richard Broinowsky) は、UNAMとの関係を求め、学術交流を密にし、UNAMについて知見を深めるために、大学本部6階でフランシスコ・バルネス・デ・カストロ (Francisco Barnés de Castro) 総長と会見した。

近い将来において、メキシコの大学生がオーストラリアで勉学することを目的とするUNAMとオーストラリア高等教育機関が学術交流を制定することに両者が合意していることを表明した。

5月、第2回大学評議会定例総会が開催され、 安全対策・学術活動特別委員会の勧告枠の範囲で民衆高等学校問題の最終解決を推進するよう、フランシスコ・バルネス・デ・カストロ 総長への信任が満場一致で決定された。

5月15日、日本の皇族、秋篠宮文仁、紀子夫妻が、UNAMを訪問した。二人はフランシスコ・バルネス・デ・カストロ (Francisco Barnés de Castro) 総長の代理である事務総局の学術プログラムコーディネーターのホルヘ・エルナンデス (Jorge Hernández) に迎えられた。

6月、UNAMとギリシャの 国立カポディストリアス・アテネ (Capodistríaca de Atenas) 大学は全会一致で歴史上スペイン語圏より初めて、スペイン語が哲学用語であることを認めて、哲学者レオポルド・セア (Leopoldo Zea) に名誉博士号を授与した。

UNAMと連邦選挙局(IFE)は協定によって、7月6日の選挙結果は、インターネットを通じてすぐに発表された。

6月9日、定例会において大学学評議会は大学入学、大学在留期間に関する原則、基準を多数決で承認した。これは、学術活動委員会により提案され、学部・学校技術委員会、国立高等学校並びに科学人文高等学校教職局、科学・人文研究所並びに分野・高等教育教職局にその分析とコメントを送ってあった。

フランシスコ・バルネス・デ・カストロ (Francisco Barnás de Castro) 総長の合意に基づいて、メキシコの発展のための重要問題に対応する活動を通じて、大学と社会を関係付ける総合的戦略と連結することを目的としたUNAM関連事務局が発足した。

合意事項は1997年6月16日から施行された。

7月1日の定例会で、大学評議会は、6月9日の評議会会議で合意され、その後、26の技術委員会、4つの部門別教職評議会、高等学校教職評議会で広範に討議された高等学校・大学の入学・在留期間と関連させた一般原則を基にして作成された入学申し込み総合規則、入学試験総合規則の改定を承認した。

UNAMの総合弁護士事務所の運営組織改編の協定が公表され、協定は1997年7月10日に 施行された。それに伴って1995年6月19日に発効した旧協定は廃止された。

8月、ケレタロ (Querétaro) 州フリキジャ (Juriquilla) のUNAMキャンパスのための運営委員会と運営サービス事務局の創設に関する協定が公表された。

規則に基づいて、大学評議会議長と運営サービスコーディネーターの権限と義務並びに、委員会がどのように構成されるか、委員会の目的・機能制定された。この協定は1997年8月7日に施行された。

8月、フランシスコ・バルネス・デ・カストロ総長はUNAM基金より融資を受け赤十字中央病院のコンピューターラボラトリーを開所した。各種中央病院に創立されたこの種の施設は35にもなる。

UNAMと赤十字病院は、ラボラトリー設置を通じ運営メカニズムと両者の協力関係に関し制定された協定に署名した後、開所式セレモニーを行った。これは大学生だけではなく、UNAMネットワーク、インターネット、データバンクにアクセスすることが出来る他の教育機関、医師、看護士、研修医にも恩恵をもたらすことになった。

8月13日、UNAMと文化経済出版社(FCE)社は相互の責任者、フランシスコ・バルネス・デ・カストロ (Francisco Barnés de Castro) とミゲル・デ・ラ・マドリッド・ウルタド (Miguel de la Madrid Hurtado) によって、それぞれ社会的目的を実現すること、学術・科学・文化部門における両者の協力基盤制定 、両者の出版活動における編集・ 制作・ 販売・プロモーションに関する協定に署名した。

出版活動、プロモーション、販売活動に関する両者の特別協定もしくは契約はメキシコ国内と同様に国外においても効力を有し、その有効期間は5年間とした。

9月、UNAMの神経生物学センターが第二段階に入り、フランシスコ・バルネス・デ・カストロ総長は応用物理学・技術進歩研究所と 、地球科学センター、商学部と建築学部の大学院課程経理・経営・建築学部の学部取得後学習コース局を同センターへの次期統合プランとして発表した。

10月、フランシスコ・バルネス・デ・カストロ 総長の合意に基づいて国立大学の経営学学会が設立された。この学会は将来、 経営局で生じた問題、顧問などを解決し、相談役であることを目的としていた。科学通信大学センターは10月から、その機能を変更し、名称も科学普及総局とした。

合意に基づいて、大学宇宙調査開発プログラムが廃止され、当プログラムをそれまで率いていた科学調査・技術開発の学術家が努力してきた材料センターに統合された。

同様に宇宙・惑星研究大学プロジェクトの創設が合意された。国立高等学校が創立130年を祝った。大学評議会は科学・人文学高等学校(CCH)を国立学校へと昇格することを承認した。

1998年

偉大な哲学者であるレオポルド・セア (Leopoldo Zea) 教授はハバナ (Habana) 大学よりそれまでの経歴を称えられ、最高の名誉博士号を授与された。1月26日フランシスコ・バルネス・デ・カストロ (Francisco Barnés de Castro) 総長は大学コミュニティーに対して授業再開を祝福するメッセージを発表した。

国立大学の創設に30年間を捧げた著名な思想家フスト・シエラ (Justo Sierra) の生誕150年記念式典が英雄広場と公教育省で行われた。

国立高等学校「ヴィダル・カスタニェーダ・イ・ナヘラ (Vidal Castañeda y Nájera) 」が45周年を迎えた。 大学都市はアメリカ大陸における2千年紀最後の皆既日食の証人となった。

書誌学研究所と国立図書館の周年記念日を祝って、17世紀の音楽が再演された。 UNAMは「エル・ウニヴェルサル(El Universal)」紙との絆を深めた。

 


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